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 中国建材事情 その5

中国建材事情 その5
四川大学対外経済貿易学部教授
四川大学経済学院日本研究センター主任

姚 順先


大理石と御影石

 大理石は中国雲南省の大理州という地方に1300年ほど前から産することから、大理石という名前が世に知られるようになったのである。それを探求するために筆者は業務のついで5月末に大理州を訪れた。

 大理は雲南省の省都昆明から337キロあり、高速道路、列車、飛行機で昆明ないし全国と連結しており、雲南省の西北部の高原にありながら交通の便がきわめて良い。大理は、下関という新興都市と13キロ離れた大理鎮という古い町からなっており、周辺は高い山々に囲まれた盆地である。一番高い山は蒼山と言い、山脈の南北の長さは48キロもあり、19の峯が聳え立ち、いずれも海抜3500m以上もあり、最高峰の馬龍峰は海抜4122mもある。蒼山山脈からは18の渓流が滝を成しながら流れ下り、盆地の真中の海という湖の中に注ぎ込む。


 海という湖は、海抜1991mの高原に位し、旅行の勝地として名高い。南北の長さは42キロ、東西の広さは3.5〜7.5キロ、面積は252平方キロにも及ぶ。遊覧船で一周すると、多くの名所古蹟にめぐり逢えるだけでなく、中国で稀に見る清い水は心身ともにさわやかにしてくれる。たおやかでのどかな忘れられない旅になった。

 大理は中国の少数民族の白族が代々生息しており、白族が独特の言葉を持っており、文字は無いが、言い伝えられている豊かな口承文学を持っているのである。特徴としては女性がきれいな帽子を被り、白い服装を好んで着こなしているのである。

 蒼山と海の間には、広大な田園風景が拡がっており、その小麦とそら豆が成している緑の絨毯の上に描かれている白族風の民家が点在しているのである。
 そんな風光明媚な所にきれいな大理石が産出されても不思議が無いと思いながら大理石を追い求める旅を続けた。

 大理石は蒼山山脈に産しており、唐の時代から採掘が始められていたのである。その品質は、細かく、「漢白玉」「雲灰石」「彩花石」の三種類に分けられ、実に多彩豊富である。特筆すべきは、「彩花石」が最も珍重視され、その自然の花紋様は中国の水墨画に似ており、奥ゆかしさに富んでいる。「彩花石」は、更に「緑花」「青花」「秋花」「春花」「水墨花」の数種類に分類され、屏風、花瓶、茶碗などの工芸品に仕立てられているのである。

 大理石の採掘現場も見学してみようと思ったが、町振興のための主な産業が旅行になっており、山林と山を保護するために大理石の採掘が制限されているという。市場には価格の安いタイルが出まわり、大理という経済的にそもそも立ち遅れている地方では大理石がすっかり下火となった。

 なるほど納得もいく。大理は長い歴史を持っており、四千年前から人類が生息しており、古くは昆弥国という国が存在していたと言うのである。秦の始皇帝の時代には国が生まれ、唐の時代には南詔国、宋の時代には大理国がそれぞれ建国され、500年間に亘って現在の雲南省の政治、経済、文化の中心であった。その悠久なる歴史はきれいな自然環境の中に数多くの遺蹟を残しただけでなく、文化的風土的にも誇り高い遺産が蓄積されているのである。

 今では大理と言えば「風花雪月」という風情のある言葉が代名詞のように使われている。「風」というのは、下関では年中寒くもなく、埃も砂も無いさわやかな風が吹いている。「花」というのは、上関という所では今こそ無くなったが、昔きれいな木蘭の花が咲き誇っていたという。「雪」というのは、蒼山の十九の峰に頂く雪が春の日差しに照らされ、まばゆく輝いて見える。「月」というのは、清い海に映された月は白く、言いようのない美しさである。併せて、下関の風、上関の花、蒼山の雪、海の月が大理の観光名物になっていて、大理の優雅さを褒め称えているのである。


 小さな田舎町に育った私は、15才まで大理石と御影石には無縁な生活を送っていた。小説では大理石と御影石の豪華威厳さについての描写をしばしば目のあたりにすることがあったが、どういう感じのものだろうかと、幼い私の心の中でずっとこの目で確かめたい気持ちに駆られていたのである。そして、大理石と御影石の産地の人達が羨ましくてならなかった。山に登っても大きな石を転がしたりして、自分達の町にも大理石や御影石が見つかるといいなと考えていた。こんな夢もとうとう徒労に終わってしまったのである。

 16才の時、初めて北京へ行くチャンスがあった。北京で私は明と清の皇帝が住んでいた紫禁城を見学した。皇帝の生活は贅を尽くしていたことが本と想像でわかってはいたが、贅の尽くし方については見当もつかなかった。康熙帝と乾隆帝の栄光とアヘン戦争以後の列強による屈辱など、幾多の歴史的事件を刻んだ建築物を前にして、思いも複雑多岐であった。歴史の重厚さが沁みこんだ御影石の床と、遥か遠く雲南省の大理から運んで来た漢白玉という大理石で造った欄干が何よりも印象的であった。数多くの名も知られない工匠の方々の知恵と勤勉さには、ただ敬服するばかりであった。自分達だけが人類の文化と技術の恩恵を思う存分に享受して、勤労人民を精神的にも物質的にも低いレベルに止めておくという封建的な支配方法には何とも言えない思いを覚えてしまった。

 中国が対外開放、経済活性化のおかげで相対的に豊かになってから時間的には未だ浅い。かつての私と同じく大理石と御影石に無縁な生活を送っていた人が多く、実際に大理がその名を馳せた理由は、蒼山と海による観光資源のためである。

 大理の地では大理石の採掘が減少したものの、四川省、新疆、貴州省、河南省などの省では今の建設ブームに乗じて、一斉に生産能力アップの道を辿ってきた。市場へ行って見たら、国産の石材の他にイタリア、スペインからの輸入石材も店頭を飾っている。2m×2mの大きな石材も展示され、隣に加工工場がある。消費者のニーズに合わせて切断研磨となかなか至れり尽せりである。


 今では中国の経済は年間8%の急ピッチで成長しているのであるから、昔から皇帝と貴族が愛好して優雅さと威厳が感じられ、しかも長い歳月をかけて培われた得意の大理石と御影石の技法が、ドイツ、イタリアから導入された最新鋭の設備も手伝って盛んに活用されている。

 先ず豪華さを競うホテルには、必ずと言っていいほど大理石と御影石が使われているのである。
そして、経済的に収益の良い病院の新築ビルは、我先にと大理石と御影石できれいさと衛生を誇っている。
また、大理石と御影石は、いくらかの政府のオフィスビルに威厳さと重厚さを増し加えている。税金をたくさん使う変わりには能率の方はいかが?
 昔、高嶺の花で市民の手の届かないところにあった大理石と御影石は、市民生活にも溶け込み、家庭の内装にも使われるようになったのである。

 中国の広大な土地と4000年にものぼる歴史を舞台に、大理石と御影石という幾多の栄光と悲惨を刻んだ建材を見てきたが、中国経済が引続き成長する以上、輝かしい未来も大理石と御影石が立派に飾ってくれることであろう。

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